作品データ
秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏 その1』(電撃文庫)
六限目が終わり、掃除が終わり、
「晶穂、部長が記事の割り付けやるって言ってたから今日は」
そこでいきなり、晶穂は振り向きざまに斜め上から叩き下ろすような、浅羽がたたらを踏むくらいのびんたを見舞った。
あっぱれな紅葉が焼きついた浅羽のほっぺに視線を突き刺し、突き刺したその視線を最後まで横目で残しながら踵を返して、晶穂は足早に教室を出ていった。
ほっぺたを押さえて呆然とする浅羽の両肩に背後からぽんと手が乗って、
「かっこいいですなー浅羽くん」
花村がそう言い、
「いやあ、おれ男が女に殴られるとこナマで見たの生まれて初めてだわ」
西久保がそう言った。浅羽はようやく我に返り、空の彼方を見るような視線を、晶穂が出ていった教室の扉に向けた。
「西久保――」
今日は、部室に顔を出すのはやめにしようと思う。
「――ラーメンおごってくれ」
西久保は、重々しくうなずいた。
概要
須藤晶穂は、主人公・浅羽直之のクラスメート。彼のことが気になっていて同じ新聞部にも押しかけるようにして所属している。突然転校してきたヒロインの伊里野加奈(イリヤ)は、その浅羽とワケありらしい、晶穂にとっては強力なライバルです。
問題のシーンは、避難訓練で防空シェルターにイリヤと二人きりで閉じ込められた浅羽が、彼女を押し倒しているのを目撃されたという噂が全校に広がった、その日の放課後のこと。
浅羽がイリヤを押し倒したというのはもちろん誤解であり、晶穂にもそのことは理屈ではわかっているはずだが、そう割り切れるものではない、という状況。
評価
衝撃度 (Impact): 80
放課直後の教室という、弛緩しきった空気の中で突然起こる悲劇。
問題の、防空シェルターでの一件から顔を合わせていない二人のファーストコンタクトがこれです。当然クラスメートにバッチリ目撃されているのもポイント高い。
表現力 (Expression): 75
行為そのものはあっさりと一文で書かれているが、前後の状況も含めスキャンダラスな出来事を描いて余すところがない。
“びんた”と平仮名で書かれているのもこの場合は効果的。
感情度 (Emotion): 95
誤解だろうとわかっていても、浅羽とイリヤが全校の噂になっていることに心中穏やかではないであろう晶穂。しかも、ただでさえ「女子を押し倒したと学校中の噂になっている男」など女子にとってエンガチョ級のタブーというべき存在であるのに、その浅羽が何の屈託もなく声をかけてくるという無神経さ。
そういった感情の表出として、また、いかがわしい行為に及んだ(とされる)男に対して「不潔!」という糾弾としてもビンタが機能している。
リアクション (Reaction): 90
防空シェルターの一件で時の人となった浅羽だが、全く空気を読めず自然体で晶穂に話しかける。物も言わずビンタされるとは全く、夢にも思っていない、理想的なビンタシチュエーションである。
「ほっぺたを押さえて呆然とする」くだりはセオリー通りだが、さらにバッチリ目撃した悪友にいじられ、あまりの不条理に「空の彼方を見るような」遠い目をして、「――ラーメンおごってくれ」という中学生とは思えぬ哀愁漂うやりとり。男の友情である。素晴らしい。
破局度 (Catastrophe): 40
残念ながらこの後二人の和解(?)は描かれず、次の章では視点が変わってはいますが、この事件そのものはほとんど後を引かなかったようで、二人の関係は元通りに戻っている。
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