中世ヨーロッパにおけるビンタと名誉

 貴族同士は馬上で戦闘用武器を持って闘い、庶民は徒歩で、棒を持って闘った。棒で打たれた者がどん百姓扱いされたことから、棒は侮辱の道具になった。侮辱に関することでのちに名誉にかかわるとみなされる、もう一つの特徴的な事柄もこの時代に根づいた。農民だけが顔をむき出しにしたまま闘うため、顔を打たれる場合がある。そのためすぐさま平手打ちは平民扱いされたことを意味し、血で晴らすべき侮辱になったのである。

――マルタン・モネスティエ『図説 決闘全書』(原書房刊、大塚宏子訳)

おおよそ9世紀初め、フランク王ルートヴィヒ一世の時代の決闘裁判。